2008年11月24日
デジタル機材と初音ミク
今回は、・・・そう、もう既に飽きてしまった方もおられると思うので、今回でハードロック&へヴィメタルを軸にしたサブカル論議をいったん終了したいと思います。
次回のテーマは・・・やはりオタクの王道としての“漫画”を扱ってみたいと思っています。
さてさて、ではハードロック&へヴィメタルの最終回を始めたいと思います。最後のテーマは“機材”です。中でもギターに関しての機材の変遷を見つつ、昨今流行のヴォーカロイドについても少々語ろうかと思います。
ギターの、とりわけエレキギターの機材と言えば、アンプとエフェクター、これに尽きると思います。デジタル機材が世に出る前まではサウンドメイキングはほぼこの2つの要素で行っていたはずです。
アナログの音、とはCDとレコードを比較されるときにも言われますが、ギターの音についても頻繁に出てくるものです。
しかしこれは余談ですが、CDやレコードにしても人間が生で感じる音を再現することは極めて難しく、よってそれはライブとレコードで別物と考えるのが通常です。ミキシングとマスタリングの末に生まれてくる“音”は明らかに人工物で、生演奏を会場で感じるものとは異質なものです。
こと顕著なジャンルはクラシック音楽でしょう。レコード化するとかなりちゃっちく感じます。電気を通さない楽器は生の存在感には適いません。しかしプラグド、つまりエレキ演奏の音楽は、生とレコードでは確かに別のサウンドなのですが、生楽器のような違いの大きさを感じません。それは生であろうともおのおのの音をミキサーに集積し調整されているからです。クラシックも確かに集音していますが、録音用です。会場スピーカーからは通常流しません。
このことは何を意味するのかというと、ミキサーを担当する人の“個性”が嫌でも出てしまうということです。そしてこれはレコードでも言えることです。
さて、このことはギターのアンプや音つくりにも大きな結果的影響を及ぼします。
いくらいい音で作り上げてもミキシングでまったくの別ものになってしまうことがあります。この悲劇を蒙った例として有名なのはディープパープルやレインボーでしょう。
端的には“篭り”です。これは明らかにミキシングの腕が悪いからです。
現代のデジタル技術が過去のこういったかわいそうな音質をリマスターで見事にクリアにしています。ということも、ミキシング如何で音はいくらでも作れる、ということの裏返しです。
ということで、現代の音楽制作環境はデジタル抜きでは語れなくなりました。
と同時にそのことはアナログ的な本来の“体感”の感動から遠ざかっていることも意味します。効率よく、よい音で、簡単に流出できること、確かにそれは便利で消費者にとってはうれしい要素が多いかもしれません。
しかしこれは人間の動物化の促進をも意味していると私は考えます。
アナログの温かみ、とは実際の感触というよりもそういった時代の流れが産み出す本質的なものへのノスタルジーをも含んでいるように感じます。
デジタルはあくまで最高のアナログを目指す技術に過ぎないのです。
最後にヴォーカロイド。
初音ミクが大フィーバーしましたが、これはデジタル世界ならではの面白さが開花したものと考えます。60年代末ころからサンプリングという手法はありましたが、作業はあくまでアナログでした。今では数秒でできるループもその時代は何時間、何日もかけてやっていたそうです。数値入力ではなく、いわゆる人間の感が大きく作用していたサンプリングは確かに技術的でありました。シンセサイザーという楽器も似たような進化の歴史をたどります。何十ものプラグを抜き差しする光景はすさまじい。パフォーマンスとしても強烈で何ともいえないような凄みを感じさせてくれます。
さて、ヴォーカルサンプリングに関してですが、初音ミクの前にも実はいくつかサウンドボードというかたちで販売されてたりもしたのですが、イマイチヒットしませんでした。
初音は、その名称があるということとキャラとしてのイラストもあることで、オタクに対してクリティカルヒットしたものと考えます。先のサウンドボードには感情移入ができないが、初音はできます。完全にキャラ立ちしているからです。
そしてこれこそがデジタルによるデジタルならではの創作と言えましょう。
ギターのアンプもシミュレーターが主となり、宅録もPCとソフトの技術進歩で安価で高品質な作品が作れる環境になりました。
この後はアイデアでしょう。
これはあらゆる分野にも広がっています。
もはや“オリジナル”への期待は薄く、直感的な感性に訴える作品が支持を得るようになっているかと思います。
つまり、多様化です。
サブカル研究室の主題でもある多様化はいたるところで見出すことができると思います。
では、これにてハードロック&へヴィメタルがらみのお話をいったん終えたいと思います。
次回ご期待いただければ幸いでございます。
2008年11月12日
アニメタルと王様
アニソンをへヴィサウンドに乗せてアレンジし、一時話題にもなったアニメタル。デビュー(と呼ぶにはいささか抵抗を感じるが)は1996年。
詳細はウィキペディアという便利なものがあるので語らないが、私的には一回限りのコラボで終わってほしかったと思う。
それは面子がかつてのジャパニーズメタルを牽引してきた人たちだったからだ。これが継続されてしまうと、なんだか寂しくも感じる。
これは先の記事にも書いたが、メタルの根底には確固たる“自意識”があり、アニメタルの面々もそれは熟知していたと思われるからだ。
しかし時代の流れには勝てない。ジャパニーズメタルは意匠を変えた、即ち日本的なアクセントがついたジャンルでしかセールス的には成功できず、洋楽的楽曲はイマイチの結果であった。かくいう私も特に好んで聴いていない。
さて、このように語ることは客観的事実からも妥当なのだが、ここで焦点を当てたいのは色々な流れや経済面があったとしても、彼らが何故アニメタルをやろうと思ったかというところだ。
その理由を考察するに、サブカルチャーの受容度合いが重要であろうと思われる。
ファーストシングルのアニメタルマラソンには、1964年生まれのヴォーカル坂本が享受してたであろう年代の曲がずらりと並ぶ。
日本人にとって、サブカルチャーのある生活は既に日常的であったのだ。
われらの共通の話題、そこにサブカルチャーが占める割合は時代を経るごとに増していく。
坂本にとってアニメタルの話は心地よいノスタルジーを喚起するのと同時に、メタルという自意識の塊のようなロックとのシンパシーを感じたに違いない。
ヒーロー系やロボットものはことに、感情を揺さぶるシャウトで雄たけびをあげ、これが単なる金欲しさにやったものとは思えないのである。
アニメの受容度の高さからも、このインパクトのあるコラボは一時フィーバーするのである。
こう考察していくと、何だか昨今のアニソンはレコード会社との結託が優先され、味のあるアニソンは一握りしかなくなってしまったように思えるが、それでも声優さんの認知、評価が上がり、主題歌も歌うことになり再び熱いジャンルになってきているのも見逃せない。
さて次は“王様”である。
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」で有名なディープパープルの代表曲を日本語直訳?で歌ったというパロディであったが、ことのほかこれも売れてしまった。発売は1995年、バブル崩壊後の暗澹たる世情だ。
そういえば私が武道館にディープパープルの公演を見にいったときに、何だかアリーナ席がざわついてると思ったら、王様が来ていたというハプニングもあった。
とかくディープパープルは日本における洋楽認知度ではかなりの上位にくるのではと思う。団塊世代の支持者が圧倒的におおいだろうが、音楽雑誌には今でもよく登場する。CMやテレビのSEやBGMにも相当使われている。
そんな彼らの曲を日本語で、しかももっぱらギャグで歌ったものに何故これほど反応したのか。
こちらは王様自身のノスタルジーではなく、団塊世代のノスタルジーを喚起したと言えるだろう。擦り切れるほどに聴いたレコード、当時は邦楽よりも高額であったという洋楽のレコードだ。それを日本語のギャグ的直訳で歌ってしまった王様、しかも意外とギターがうまいし、声もいい。そして何よりも文化の違う歌詞を日本語アレンジというよりも直訳することに諧謔を感じた。
25万枚のヒットだそうだ。
団塊世代にとってのサブカルチャー、その一つがロックであったのだ。
時代とともに目まぐるしく変わるサブカルだが、それが大人になっても“ノスタルジー”という形で決して消えることがないほどに日本では浸透しているのだと思う。
人に何を言われようが、そのシンパシー(共鳴)に素直であっていいのだと、私は思うのである。
2008年11月08日
プログレッシブ・ロック
今回は異色なジャンルとして、かなり昔から地味に存在するジャンルであるプログレッシブ・ロックについてお話します。
リスナーが極端に増えもせず、減りもしないこのジャンルは非常に特異性を持っており、オタク心を刺激するものだ。
ヒットとは無縁のジャンルであるが、その黎明期は違っていた。
60年代後半から70年代前半に商業的成功も含めたピークを向え、その後は一部のマニアが熱烈に支持をする様相を示す。
現在でもちょくちょく雑誌等で紹介される“キングクリムゾン”は有名ですね。1stアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』のジャケットもかなり有名です。これは69年発表の作品で、何がプログレッシブと言われる所以なのかを全て備えているような作品です。
プログレの要素となるのは、
1、一曲が長い。
2、詩が文学的であったり、哲学的である。つまりは意味深である。
3、変拍子
4、超絶テクニック
ざっとあげるとこんな感じで、このことから特にジャズ系でもメタル系でもポップ系でもプログレと呼ばれるものは多々ある。
そもそもプログレッシブとは前衛的な、とか進歩的なという意味です。つまり既存のデータベース的なコード進行や曲構成ではなく、タブーだろうが面白そうな要素を取り入れ、咀嚼して普遍化することが醍醐味と思う。
この普遍化が大事で、変わった要素を取り入れただけとか、やりたい放題の曲ではここまで支持は得られないだろう。
70年代前半までは様々なことが試され、数々の名盤が世に出たが、その後は音楽業界が産業資本に相当呑まれたこともあり、実験的なプログレは影を薄め、地味なマニア向けのジャンルへと移行する。
今でも現役で活動しているバンドや再結成したものもあるが、主に有名なのはピンクフロイド、イエス、初期ジェネシス(ピーター・ガブリエル)、ラッシュ、エマーソン・レイク&パーマー(ELP)、UK、ルネッサンス、マグマ、マイクオールドフィールド、ドリームシアター、エイジアといったところか。
余談ですがかの有名なビートルズも大分実験的であり、プログレ的要素は満載です。
2008年11月06日
ハードロック&へヴィメタル&ポップス
ハードロック&へヴィメタル、まずはこのジャンル分けだがセットで言われることが多い。
一般的には同じだろ、と言うことかもしれないが、オタク的にはどうもそれは許容できないところであるのです、これが。
そもそもジャンルなんて評論家風情が勝手に付けてるだけだろ、と言われればそれまでかも知れませんが、それはそれでこだわるものなのです。
この2つは音の重さや軽さで分けているわけでもなく、かなり主観的な要素が多いため厳密には分けられないのはごもっともですがここでは敢えて突っ込んで考えてみたい。
具体例を出すと、日本でも有名なボン・ジョヴィはへヴィメタルとは認識されない。ハードロック、もしくはポップスとしても認知されている。音は至ってへヴィだ。曲のつくりはポップである。
もう一つ例を出そう。ヴァン・ヘイレンという80年代アメリカの有名なバンドがあるが、ウィキで調べるとどうもハードロックというジャンルにされているが、私的には完全にへヴィメタルである。
このバンドもボン・ジョヴィと同じく音はへヴィで、曲はポップである。
もう一つ、レッド・ツェッペリンという70年代イギリスの有名なバンドがあるが、彼らはハードロック、へヴィメタル、ポップス、ともにカテゴライズされることがある。
音は基本はへヴィだが、重たくはない。楽曲は白人ブルースロックを基調としているが、後期は実験的な曲を生み出している。
さて、この違いは何なのだろうかと考えると、各許容範囲としては
ポップス>ハードロック>へヴィメタル
であろうと思う。
音がハードだろうがへヴィだろうが、楽曲の展開によってはハードロックもへヴィメタルもポップスになりうる点で、ポップスの範囲は非常に広い。
ではハードロックとへヴィメタルの違いはというと、もっと細部であると言える。
その一つに“リフ”と呼ばれる特徴あるフレーズ(主としてギター)がある。これはどちらにもあるのだが、強調の度合いがへヴィメタルの方がはるかに上である。コード転回で曲を構成するのではなく、リフでごり押し、的なものは最たるものだ。
しかしこのリフも音が軽めだとハードロックともなってしまう。ツェッペリンやディープパープルなどがいい例だ。そもそもこの70年代に入ったばかりのことはへヴィメタルという言葉は定着していなかった。エレキギターのエフェクトやアンプの技術が上がり、歪んだ爆音を出すことが可能になったという要因も重要だ。そのパイオニアとしはブラックサバスが有名だ。
さあて、一度まとめよう。
へヴィメタルがへヴィメタルとして意識されて創作された時代は80年代に入ってからではないかと考える。
NWOBHM(ニューウェイブ・オブ・ブリティッシュ・へヴィメタル)と呼ばれるアイアンメイデンやジューダスプリーストは確実に自分たちがへヴィメタルであると意識して登場してきたバンドだ。
つまり、へヴィメタルには明確な自意識がある。そして何よりも“ギター”がリードするサウンドメイキングが大きな特徴と言えよう。ポップスはヴォーカルメインであり、ハードロックはヴォーカルもギターも同じくらいの比重があり、うまく住み分けている感があり、非常に柔軟性がある。その点へヴィメタルは頑固だ。
ボンジョヴィはヴォーカルメインのへヴィサウンドのバンドで、ポップス的なハードロックであり、ヴァンヘイレンはギターリードのポップ要素のあるへヴィメタルである、と言える。またツェッペリンは前述の考察からどのジャンルでも構わないと言えよう。
このように見てくると、へヴィメタルはかなりの“オタク”性を運命付けられていることが分かる。
アニソン特有のへヴィサウンドにはどうもメタル魂を感じずにはいられない。
ハードロックという柔軟なものとは違う様式を感じてしまうのは私だけではないはずだ・・・

