2010年03月04日

『プラネテス』と『涼宮ハルヒの消失』

サブカル研究室のある「エクリ」で話題となっている作品『プラネテス』(2003年10月~2004年4月)
何故に今頃?と言われそうですが、それはエクリ掲示板をご覧いただくとして、
ここでの突っ込みどころは何故に劇場版アニメ『涼宮ハルヒの消失』を一緒に扱うのか、というところでしょう。

私なりに共通する部分がありましたので、単一で扱うよりも面白い比較ができるのではと思い、そうさせていただきました。
壮大なテーマのNHKアニメと世界系萌アニメ、どこに共通する部分があったのでしょうか?

※これ以後、ネタばれもありますので、見ていない方はご注意くださいませ。


まず、『プラネテス』でございますが、2075年前後を扱った近未来アニメで、主人公はスペースデブリという宇宙のゴミ(使用しなくなった人工衛星やロケットの切り離した残骸など)を回収する部署に所属する青年。
デブリ課、通称半課(半人前)と呼ばれる部署は、大手宇宙開発業者テクノーラを初め、どの会社でも赤字部門、安月給で社会的評価が低い仕事という認識を持たれています。
現在の企業イメージのための環境対策、と共通する部分もあります。
いつの時代も“イメージ”は大事なようです。
主人公は星野八郎太(通称ハチマキ)という入社4年目の青年。物語は彼に“かわいい後輩”タナベがやってきたところから始まり、様々なエピソードを交えながら、成長していくところが描かれています。
漠然と持っていた夢(マイ宇宙船を持つ)が、現実的にはどういうことなのかを否が応でも認めなければならない中での様々な葛藤、それは時代を超えて共有できる人間としての感覚であり、故に『涼宮ハルヒの消失』における主人公、キョンの葛藤、自問自答に通じるところを感じました。

『涼宮ハルヒの消失』は現在公開中のハルヒシリーズ初の劇場作品です。
第2期のテレビ放送で放映されるという噂もありましたが、こういう形となったようです。
人気の高い原作の映画化はかなり期待されており、2時間40分もの大作になりましたが、そんな時間の長さを感じない期待以上の仕上がりになったようで、概ね歓迎されているようです。
この物語は普段は無口キャラの“対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース”長門有希が、蓄積された細かいエラーによって“誤作動”を起こし、世界を改変させてしまうお話しです。

ハルヒの登場人物には、俗に宇宙人、未来人、超能力者がいますが、設定では各人独自の宇宙空間を持っているといってよいでしょう。
それぞれが別次元でありながら共通するキーワードは“涼宮ハルヒ”
ハルヒは神格化されています。
しかし当の本人は気づいていない。
その中で1人普通の人間であるキョンの一人称で語られる物語が『涼宮ハルヒの憂鬱』です。

そんな日常の中でハルヒがもたらす非日常に振り回されてきたキョンは、その都度溜息を漏らし、嘆いていたが、長門の“誤作動”により生じた新しい世界には宇宙人、未来人、超能力者は存在せず、ハルヒにも超人的性質はありません。
そう、普通の高校生活がそこにあった。
キョンは戸惑う中で、改変前の世界に戻りたいという気持ち、すなわち、ハルヒに振り回され、宇宙人、未来人、超能力者がいる非日常世界が本当は楽しかったのではないか、ということに気づき愕然とします。
そのどちらを選ぶのかという選択肢を、長門が残していたところにいわゆる“萌”もある。
なぜならこの世界の“人間長門”はキョンを好いているからです。
キョンはハルヒを好きでありながら、それを自分自身で認めたくない、認めない方向で動いていますが、ここで彼はハルヒが好きであることを認めざるを得ません。
長門か、ハルヒか、という選択肢でもあるのです。

『プラネテス』のハチマキはマイ宇宙船を持つという夢から、宇宙開拓の最前線で使命(木星往還船「フォン・ブラウン号」のクルーになる)を果たしたい、というものに変わっていくが、それに対して様々な葛藤をする。自分の信念を正当化できずに、もう1人の自分と戦っている。
交際したタナベと結婚し、地球で暮らすという選択もあったり、
信念で突っ走るフォン・ブラウン号の機関長であり、父でもある五郎の存在であったり、
宇宙の師匠を同じくし、軌道保安庁を隠れ蓑に“宇宙防衛戦線”のテロリストであったハキムとの接触による、宇宙開発が人類にとって本当に有益なものなのか、という根源的な問いもあったりと、悩ます要素はたくさんありました。

キョンは高校生らしい、青春的な葛藤ですが、25歳のハチマキはかなり深刻な葛藤です。
しかしどちらも、現実、仮想、現代、未来関係なく、人間の成長過程で経験するものではないでしょうか。


さて、今回は主人公の葛藤をテーマに異なる2つの作品を考えてみましたが、どちらとももっとたくさんの魅力を持った作品です。
ハルヒについては以前、かなり書きましたので、プラネテスについて少々追記します。


『プラネテス』は全26話あり、前半が各話完結のエピソードですが、後半の伏線となっています。
後半は息もつかせぬ展開で、前半のエピソードも絡んで様々な人間の欲求が交差した壮大なストーリーとなります。
“多様性”がこの物語の大きなテーマでもあると思います。
現代社会も既に近代化とグローバル化の中で、多様化した社会になっています。
先進国を中心に考えられる地球問題は、そのまま宇宙問題にも繋がっています。
貧富の差が拡大し、地球問題も解決できないまま、宇宙開発をすることの意義についてはとても考えさせられます。
宇宙防衛戦線、というテロ組織は現代の中東問題と同じ構図でしょう。
テロ、とういう手段でしか巨大資本に抵抗する術がない。グローバル化の中では国ではなく、資本家が黒幕であり、その広大なネットワークは正義や平和を唱えているだけでは何もできないことを突きつけます。
ウェルナー・ロックスミスが、実験が失敗しようが、私が誰よりも優秀な科学者である限り必要とされる、というようなことを言いますが、まさしくそれは国を超えて資本が動いていることを意味します。

ハキムも、そしてハチマキも、そしてロックスミスも。誰もが正しく、そして正しくない。
それが多様性であり、相互の共通認識をルール化できなければ共存ができないということと思います。そしてそれが究極的には理屈ではない、とうことを体現したタナベの“愛”に
私は号泣してしまいました。(第24話)

プラネテスは完結しない。
物語が完結するとしたら、人間が新たな次元に到達したときなのかもしれない。
  

Posted by サブ研-エクリ-  at 16:42Comments(0)TrackBack(0)アニメ・コミック