2009年02月18日
涼宮ハルヒの憂鬱


涼宮ハルヒの憂鬱
今回は前記事の『ひぐらしのなく頃に』に引き続き、ビッグなタイトルについて語ってみたいと思います。
サブカルを少しでも受容している人の中で、『涼宮ハルヒの憂鬱』という名称を聞いたことが無い人は恐らくいないのではないでしょうか?
今でこそメディアミックスによってあらゆるジャンルに登場していますが、もともとはライトノベルと呼ばれる、小中高生向けの活字媒体での登場でした。角川スニーカー大賞受賞という華々しいデビューを果たしたこの作品は、その後『涼宮ハルヒの○○』という形で続編が刊行され、ノベルで500万部を超えるヒット作となりました。
何がここまで支持されているのでしょう?
学園、SF、セカイ系といった要素は珍しくもないですし、キャラクターのかわいさや特異さだけではここまでのヒットには至らないでしょう。
私が考えるには、ハルヒの魅力はあの独特の一人称にあると思います。
劇中の重要人物であるキョンの一人称表現がノベルやアニメにも共通して描かれ、世界観を壊すことなくその魅力を醸し出している。
一人称はともすると違和感を感じてしまうことが多い表現であると思います。
すべてその人物の視点、思考で進行するわけですから、自由度が高い反面、話が見えてこなかったり、話を進めるがために予定調和的に強引に進めることもできてしまう。
作者の谷川流氏はその辺りを絶妙に表現していると感じる。
確かに、高校1年にしては知りすぎていはしないかい?と思うところもあるが、テンポのよさとキャラによって自然と受け入れることができる。
突拍子も無い話でありながら、妙に“リアル”を感じることができるのも、その構成力が高いからであろう。宇宙人、未来人、超能力者、そしてそれらを無意識に支配する“神”がいて、普通の高校生が巻き込まれている。
そこに“リアリティ”を感じさせるのは、それ相応の構成力があってこそと思う。
ジブリ作品にも共通する妙な普遍性を感じてしまうのは、私だけではないはずだ。
そしてそのしっかりとした土台の上に、多くの“萌え”要素がちりばめられ、作品の魅力を不動のものにしていると感じます。
また、アニメは声優陣の充実、キャッチーな楽曲、エンディングのダンス、劇中歌のリアルさなども大いに作品を肉付けしている。
京都アニメーションの存在も忘れてはならないでしょう。
そんな『ハルヒ』のテレビ放送が決まったそうです。
再放送なのか、第2期かは定かではないですが、楽しみですね。

