2009年02月28日

涼宮ハルヒの考察 その1



先の記事はハルヒ好きの感想的な内容となってしまったので、これから数回、もう少し深く考えてみたいと思います。
まずは劇中人物、涼宮ハルヒに惹かれるのは何故か、という大きな主題で考えたいと思います。

涼宮ハルヒは何者なのか、という問いには数々の回答がありそうですが、世界の行く末を握っているが、それを自覚していない天真爛漫な女子高生、というのが順当な回答になるかもしれない。
退屈を嫌い、常に楽しいことを求めているが、それはあくまで自分が中心人物になって楽しむことが条件。
そうして思っていることがその通りになっていくが、自分自身はそれが自分の“力”で起きていることを知らない。
そしてイライラが募ると“閉鎖空間”を生み出し、怪物が破壊活動を行う。

こんな人物が実際にいたら・・・とんでもないでしょうね。
自分が思っていても中々現実にできないこと、つまりは不満でありそれをこらえることでストレスが発生する。
現代社会は高ストレス社会といわれています。
そう、ハルヒにはカタルシスの効用があるのです。
ハルヒに限らず、サブカルチャーには少なからずカタルシスの効用があります。
社会で実現不可能なことを、他の媒体によって擬似体験することによってストレスを取り除くことができます。

ecri-エクリ-がサブカル推進掲げる理由の一つには、こういったことも含まれているのです。
システム化し、複雑になる現代社会において、サブカルを真剣に考え、そして正当に認知されることは重要と考えます。

さて、そんなハルヒも単なる超常的なお話として、現実とあまりにも乖離した構成であったなら、ここまで人気を博することは無かったでしょう。これは前の記事でも書きましたが、『涼宮ハルヒの憂鬱』には理屈として納得できるだけの構成力があり、アニメ的不自然な感じが少ない。それはキョンの一人称という形で語られてはいるが、含蓄に富んだ語彙と教養によって、不可思議世界を彼とともに共有することに成功しているからであると思う。

また、天真爛漫に振舞うハルヒにもストレス空間として“閉鎖空間”があることで、どんなに自由に振舞っても決して満足することはない、というメッセージとして受け取ることができる。欲望には切がないということでしょう。
そういう部分も共感できるところであると思います。

つづく


Posted by サブ研-エクリ-  at 15:15 │Comments(0)TrackBack(0)アニメ・コミック

この記事へのトラックバックURL


上の画像に書かれている文字を入力して下さい