2009年03月18日

涼宮ハルヒの考察 その2



前回は涼宮ハルヒ、その人物について現代社会におけるカタルシスについて考えてみました。
今回は、原作のノベルハルヒを通して、その作品の魅力について掘り下げて考えてみたいと思います。

そもそもハルヒはノベルが原作です。
谷川流氏が角川スニーカー大賞を受賞した作品で、審査員の評価もかなり高かったようです。
そしてそのまま続編も決まり、ショートストーリーも発表しながら、現在に至っています。
合わせて9巻、出ています。

アニメから入った私が、ノベルを読んでの率直な印象は、面白い、でした。
アニメとの違和感がなく、すんなりその世界を楽しむことができました。

逆であったらどう感じたかは、経験のしようがないので分かりませんが、この作品のアニメとノベルのシンクロ率は高いのではないかと思います。

それは何故か、というのを少し考えてみました。

大きな要因の一つはキャラの差異であると思います。
ご存知のように、この世界の主だった人物は、
ハルヒ=神?
長門=宇宙人
みくる=未来人
古泉=超能力者
キョン=一般人
という設定で、それぞれがまったく違う世界の存在となっています。
そしてそれぞれがまったく別の性格であり、同じタイプの人間?はいません。
そして一般人がキョンだけなので、不条理世界もすんなりと受け入れられ、謎は謎として解決できなくてもそれ自体が独立したキャラクターとなって楽しむことができます。

普通の人間の学園ものであれば、どこかでフィクション性を感じ(もちろんそれはそれで受け止め楽しむわけですが)、その度合いがあまりにも現実を無視していると違和感を感じます。
ハルヒは『涼宮ハルヒの憂鬱』という大きなフィクションの中に上記5人の独立したフィクションが混在することで、メタ属性があります。
そしてこれらの人物が織り成す物語は、学園ものなので複雑にならず、すんなり受け入れられることから、多くの人に指示されたのではないかと考えます。

ノベルは挿絵以外はヴィジュアル要素がないので、たとえば長門はほとんどしゃべらないが、アニメだと写りこんでいます。
ノベルではキョンの状況描写で終わることが多い長門が、それでも存在感を大きくしているのが、それぞれのホームである異世界の存在だ。性格だけではなく、そちらの世界(他人から見ればフィクション)があるために、キャラの存在感は非常に大きくなるのだと思います。

ノベルは絵がない分、楽しむには想像力が必要ですが、それも上記のようなことから、容易にその世界に入っていけることが、ここまで読まれている由縁ではないでしょうか。
アニメが相当のレベルの高い作品に仕上がっていながら、ノベルが色褪せない。
その本質は設定とキャラ立ちがしっかり組み合わさっているからであると思います。


Posted by サブ研-エクリ-  at 13:23 │Comments(0)TrackBack(0)アニメ・コミック

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